護満長者
昔、下暮地に護満長者と呼ばれる金持ちが住んでいた。家の南に神祠を建て産神とし、西北に庵室を構え仏様を安置していました。(その庵室が今の仏眼寺で百数十年ほど前に現在の場所に移ったといわれている甲斐国志)その後不幸が続き家は貧しくなり、使用人も居なくなり、長者は不治の病に罹り一室に閉じこもってしまった。長者には美しい一人の娘が居り、それはそれは気立ての優しい娘であった。娘は親の病を悲み、神仏に祈願し病が治る様一心不乱に祈った。娘にこのような苦労を懸けるのは自分がこの世にあるからだと嘆き、腹を切って死んでしまった。娘は嘆き悲しみ尼となって、親の菩提を弔うために、諸国巡礼の旅に出た。その後、家は無住となり大雨による俵石川の氾濫で流されてしまったという。今も伝説を物語るかのように巨石の石組みが下暮地城屋敷に残っている。