西桂町の「桂」は、明治8年1月19日に東西八ヶ村(上暮地村、下暮地村、小沼村、倉見村、境村、鹿留村、夏狩村、十日市場村)が合併して「桂村」となるとき桂川からとったものと思われる。
それでは「桂川」の語源はというと.....まず、都留郡の「つる」と関連ありとする説がある。
甲斐国志によると---都留郡 和名抄に豆留と云う。残簡風土記に或は連葛と云う。大田川を西限、早女坂を東限、阿曽谷を南限、武田牧を北限とす。連葛とは富士山の足北へ長く延て連綿たり、宜しく蔓葛(つる)の如くに然り方言に山の尾づる、尾崎と云う。後人代るに鶴の字を以て嘉名と為す。亦郡に桂川有り、方言「桂」、「葛」の訓相混じ遂に文字を転ず---と。
又、甲斐叢記によると---都留郡の「つる」は、俚老の説に古時より富士山の麓に白鶴三隻が遊んでいた。何れも千余年を歴し老鶴なり、秦の徐福が霊の化する所なりと伝う。然るに元禄11年一鶴死ぬ、下吉田の北原に埋め塚を築て鶴塚という、これ郡名の起る所なりと云るは信じ難し。按るに都留の意は蔓葛なりと、都留「つる(蔓葛)」を(かづら)「かつら」とも云うにつけて「桂」の字を借用いしならん。かかねば本郡の名義は山のつる(蔓葛)にとりしこと明かなり、然るを後人鶴の字に書換えて嘉名とせり(鶴郡の字も使われていた)。---とある。
又新しいところで、桂川の「桂」は桂の木にあやかってつけたという説もある。
北富士すそのものがたりによると---遠い昔から桂川流域には雑木に交じって桂の大木が茂っており特に目立った大木もあった。花の咲く頃は良い香りがするし、月の世界の木という神話もあり、いかなる老木でも根元から無数の新芽が蘇生し、精力旺盛、不老不死につながる名木であり、永遠の生命を保つ縁起の良い桂の木にあやかって「桂川」と名付けた。---としている。
桂の木はカツラ科に属し、日本各地の温帯地域の渓流沿いに生えている樹高20~30mにも達する落葉大高木で、目立ちやすく、木材は良質のため建築、家具、楽器、彫刻用に利用されています。