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2017年1月12日 更新 印刷用ページ印刷用ページを開く
西桂町の遺跡・文化財
三ツ峠登山道には数々の史跡・文化財があります。
史跡・文化財を見ながら登山はいかがでしょうか?

達磨石(Darumaishi)

三ツ峠中興の祖・空胎上人の後継者、三世安西和尚によって建てられたダルマに似た石造物である。
 高さ1メートル、巾85センチの大きな自然石に梵字で大日如来を意味するアークという文字が刻まれ、まさにこの山が修験密教の世界であることを表している。

八十八大師(Hachijuuhachidaishi)

登山コースの一番の見どころ。
文久年間(1861~1863)に近郷の信者によって八十八体の石仏を祀ったという。弘法大師42才の厄年に四国の修行地を回り定めたといわれる。四国八十八ヶ所巡りを遠くでできない人々のため模倣が各地で造られ、その中には、ここで見られるように八十八体の弘法大師像を当てたものもある。
 また、中央には「遍照金剛八十八体世主現当二世安全」の碑が建っている。

三ッ峠山頂(top of Mt.Mitsutouge)

1,785mの山頂からの展望はすばらしく、特にここからの富士山はカメラマンからも愛されています。方位盤が設置され、360°の山々の名前で確認できます。

一字一石供養塔(Ichijiissekikuyoutou)

経王一字一石供養塔といい、天保6年(1835)空胎上人によって造られたと思われる。自然石の文字塔である。
 空胎上人によって書写されたのは「法華経」「仁王護国般若経」「金光明最勝王経」だといわれている。小石に一字ずつ経文を書写し、地に埋めて石塔を建てたものが一字一石塔である。

神鈴権現社(misuzugongensya)

三ツ峠山頂付近の屏風岩の手前に、神鈴権現社があります。江戸時代中期に、その権現様を厚く信仰しているとよ女という美しい年頃の娘がいました。村の若者達が、とよ女の気を引こうと言い寄っても、ただ権現様を信仰し、身持ちの固い彼女は、誰にも心を動かさなかった。恋に狂った若者が、権現様のお祭りに参詣するとよ女を見計らって、草原に火をつけた。火は風を呼びとよ女は焼け死んだ。
 冬も去り、春になると、とよ女の死んだその場所に、可憐なさくら草が一斉に咲き、彼女の志を惜しんだ人たちは、いつとはなしにその美しさをたたえてクモイコザクラと呼ぶようになったという。

親不和の碑(Oyashirazunohi)

三ッ峠四世修善が登山者の安全を祈願して刻んだ石碑で、南無阿弥陀佛などの文字があります。

不二石(Fujiishi)

富士石とも云われています。昔は鳥居などもあり、信仰の対象でした。不死の願いが込められていると言われています。

愛染明王(Aizenmyouou)

 愛染明王の碑は、三ツ峠中興の祖・空胎上人の後継者、二世豊恭和尚によって建てられた。高さ190センチ、巾90センチの自然石文字塔である。
 愛染明王とは、縁結びの神様で良縁を願う人達の信仰が厚く、また愛染が藍染と同音のため、染物業者の信仰も集めた。

股のぞき(Matanozoki)

視界の大きく広がるビューポイント。赤松のふたつの幹が分かれた所から富士山を眺めるのも一興です。

馬返し(umagaeshi)

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